金沢大学 医薬保健研究域医学系 耳鼻咽喉科・頭頸部外科学

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メッセージ/医局の活動 003 


山に登るということ


この夏、家族で剣岳を目指しました。
折しも「点の記」が上映された夏でしたので、「映画を見たからなの?」と聞かれることもありましたが、我が家にとっては、去年果たせなかった目標へのリベンジでした。
結婚前に主人とともに登り、(今回実際に登ってみて、当時の「剣岳登山」の実情がすっかり自分の実感記憶から消えていたこと、こんなに大変なら、やはり子供たちにはまだ早かったのではなかったか…と登りながら、かなりアセったことを、ここに白状致します。)子供たちとも共感したいと思っていました。
登頂したのは2009年7月30日です。でも皆さん覚えておられるでしょうか?この夏は梅雨前線が7月じゅう、ずうっと日本列島に張り付いていました。閉所恐怖症の私にとって、山も空も見えない日々は私に呼吸困難感を与えていました。前日29日に剣沢小屋までたどり着いたときも雨嵐のなかでした。ここで、私たちの登頂を支えて下さった山のガイドさんと初めてお会いしています。多賀谷治さんという方です。
中学2年生の息子と小学5年生の娘とともに家族4人で登頂できたのは多賀谷さんの心強いサポートがあったからだと感謝しています。
でも山登りは、すべての一歩が自分自身の足によるものであることを、今回、改めて感じました。子供たちがすべての前進をそれぞれの足でおこなってくれたことが、へろへろになって前に進めなくなりそうな私自身を後押しし、また引っ張ってくれました。
前日29日に剣沢小屋にたどり着いたときも、その夜も、翌30日の朝も、雨でした。天気予報も梅雨前線も30日の雨を繰り返し私たちに伝えようとしていましたし、私たちも30日は久しぶりに家族そろって山小屋で一日トランプする心構えをしなくては、と、自分たちに言い聞かせていました。全国的な天気予報と、そのころよく話題となった登山関連の死亡事故報道により、この山小屋もこの時期キャンセルが相次いでいたそうです。
30日の朝5時、朝食を食べながらの天気予報も一日「雨」でした。ゆっくりとご飯を噛みながら見つめていたテレビの隅っこに現れる天気予報が「雨のち晴れ」にかわったのは午前5時30分です。私たちも、多賀谷さんも我が目を疑いつつ、でも心が躍りました。
残雪に雨が降り注ぐ中、小屋をあとにします。でもこの時点では「とりあえず出発してみる」の状態でした。濡れた山岩の崖を渡ることは、疲労と滑落の誘因です。多賀谷さんとの約束で「とりあえず一服剣で考えよう」ということにしていました。
正直なところ私は10歳の娘が、途中でギブアップを申し出るのではないかと不安でした。もともとこの登山は「いつか一緒に登りたいね」という私の言葉に、息子が強く反応し始まった話です。娘はTDRのほうがむしろ好みだったと思います。娘は昨日、履き慣れぬ登山靴で足の痛みも訴えていました。娘を応援しながら、でも、もしも途中で彼女がもう先には進めないと言ったなら、私と娘は、もしくは状況によっては多賀谷さんと家族4人みんなで、方針を変換するのかなと思っていました。
しかし、私の心配をよそに、子供たちは確実な足取りで雨の中の山を進んでいきます。一服剣にたどり着いたとき、まだ雨が降り注いでいました。多賀谷さんは主人に「どうしましょうか」と聞きます。主人はしばらくだまってから、「30分待ちましょう」と言いました。雨は降り続いています。気持ちを暗くしないよう、しゃべり続ける子供たちと私の頭の上には幾千もの雨粒と、雨雲がありました。
でも、その30分の間に青い空のかけらが見えました。もう少し先に進みたいと単純に願う息子と私は、青い色のことをさかんに口にします。その時、太陽の光がさしました。多賀谷さんが「これはブロッケンがみえるんでない?」とおっしゃいました。「ブロッケン現象」とは、太陽と雲の間に私たちが存在し、太陽を背にしたとき、雲に私たちの影がうつりまたその影の周りに虹が出る現象です。チクチクにとんがった岩の上にたつと、眼前に広がる雲海に私たちの影がくっきりと映り、そして影の周囲に虹がみえました。太陽の力は素晴らしいです。私たちの表情はみるみる溶けて輝きました。
「登ってみましょう」と主人が多賀谷さんに伝えます。皆で進んでみることにしました。

私が子供たちに願っているのは、自然への畏敬の念を自身の心で感じてほしいこと、現実はゲームのようにリセットは効かず、この1分1秒は二度と戻ってこない一瞬であることです。二人は多賀谷さんの命綱により精神的には支えてもらいましたが、一度もその効力を借りることなく登って、そして降りてくれました。普段は口喧嘩の多い兄妹が互いを気遣いながら、やる気を支えあってすすんでいきました。
登山の途中、どうしてこんな苦しいことをしているのだろうと自分でも不思議になります。登って登頂して終了ではなく、さらに、より体力と集中力を要する下りも、我が責任で行わなければなりません。
途上での長い休憩は疲労を増加させるのだそうです。小さめの歩幅でペースを乱さず歩を重ねることは、できそうでいてかなり難しく、ちょっと路が緩やかになると逸る気持ちを抑えながら、勾配や岩路が厳しくなると滞りそうになる足を止めないように進みます。
天気予報が上記の如くでしたから、剣岳は「ほとんど人がいない」日和でした。多賀谷さんによるとこんな日は年に一、二日あるかどうかだそうで、普通今の時期はあちこちのクサリ場で数時間待ちの列ができるのだそうです。このような状況も私たちの登山を子供のペースにあわせて気兼ねなく集中したものとさせてくれた一つだと思います。

高所恐怖症なのに一言も「こわい」を漏らさない息子と、カニの縦バイに至っては、手足のリーチが本人のぎりぎり状態の娘とともに、もう永遠にたどり着けないのかもしれないと感じた剣岳山頂についたのはお昼頃でした。
確かに快晴とはいえないこの日に、山頂から周囲の山々と私たちの通ってきた道筋が見えた瞬間でもありました。多賀谷さんは「点の記」の収録のときに長次郎谷をこんな風に撮ったとか、スタントはスタントマンでなくて山のガイドがしたこととか、話して下さいました。とても偶然なことから今回のガイドをお願いさせて頂いた多賀谷さんが、「点の記」の収録を支えておられたお一人であったことは、ガイドを依頼させて頂いた後で知りました。
下山について初めて、自分の体がこんなに疲れていることを知りました。少しの気の緩み、対応の遅れがそのまま大きな結果につながり得ます。下山で一番体力の残りがわずかだったのは私だったかもしれません。でもオコジョや雷鳥の愛くるしい歓迎やコマクサの発見などに励まされながら剣沢小屋にたどり着くことができました。
剣沢小屋に戻ってみると剣岳が夕日に照らされていました。この長い行程を歩き、あの高度に一時達したことに、なんとも言えない感慨を受けました。娘が「登山って楽しいね」と言ってくれたこと、息子が「この登山が終わると思うと心に穴があきそうだ」と言ってくれたことがうれしかったです。

登る前、子供たちを剣岳に連れていきたいと言うと、「無謀だ」と言われる方もおられました。本当にそのとおりだと思います。今日があることをとても感謝しています。
前日の29日、雷鳥平から別山乗越に着くころに雨が強まり、別山乗越の剣御前小舎で、強い風雨となりました。ここから剣沢小屋に向かう間にも遭難するかもしれません。家族で相談しました。皆で相談し、進んでみることになりました。でも、実際歩き始めてみると視界は狭く、人も疎ら、剣御前小舎以後、山との位置関係も変わり、風が雨とともに横から下から吹き付けます。自然の怖さと、それを前に人間はいかにちっぽけであるかを痛感しました。
止める勇気も必要だと皆に話しました。その時、息子と娘は「自分たちは大丈夫、お父さんとお母さんが大丈夫なら行きたい」と言いました。慎重な主人も、戻るという言葉は口にしません。

思えば、私は苦しい時、いつもこうやって勇気づけられてきた気がします。

今回の夏休みに頂けた多くのご褒美に、とても感謝しています。